サイバートラストは、20 年の看板を自前で抱える “Fork” から、世界の開発コミュニティに合流する “Join” へと舵を切った。長年、国産 OS を守り続けてきた技術者たちにとって、それはゼロからつくるプライドを手放し、海外の開発者たちが集う共有地へ加わることを意味していた。
だが、合流とは、契約書に署名して終わる話ではない。世界中の技術者が集う“共有地”で、日本という新参者が信頼を勝ち取るまでには、もうひとつの、より泥くさい物語があったのだ。迎え入れられた矢先に起きた業界そのものを揺るがす地殻変動を、サイバートラストは CloudLinux とともに乗り越えなければならなかった。
前編に続き、OSS 事業本部で執行役員を務める鈴木庸陛の証言から、世界の共有地で信頼を勝ち取り、日本の社会インフラを守り抜いた 2 年の雌伏、そして新しい時代に向けたオープンソースシステム構築への道のりを探る。
お金では買えない、オープンソースの発言力
世界の開発コミュニティに合流する——サイバートラストが下した決断は、具体的にはこういうことだ。MIRACLE LINUX は、これからは AlmaLinux という世界共通の土台の上でつくる。ブランドの名前と、国内のサポートは、引き続きサイバートラストが担いつつ、AlmaLinux を運営する非営利団体「AlmaLinux OS Foundation」に対して最上位のスポンサーとして出資する。それによって、1 社では決して届かなかった認証も、世界中のユーザーを擁する AlmaLinux の規模ごと分かち合うことができるのだ。
しかし、ここで重要なのは、オープンソースのコミュニティが、対価を払えば相応の席と発言権が手に入る、という普通のビジネスとは根本から作法が異なるということだ。
「世界中の技術者が持ち寄りで手入れをする、巨大な“共有地”に近い。誰のものでもなく、みんなのもの。お金を積んだ者が待っているだけでは、何も起きません。発言力を持てるのは、実際に自ら汗をかいてコミュニティに貢献し、成果を持ち寄って信頼を勝ち取った者だけ。そういう世界なんです」
だからこそ、サイバートラストは担い手の一員として運営に加わるために、理事会や開発にも自社エンジニアを送り込んだ。
これらは開発コミュニティ特有の作法ではあるが、日米間の大きな断絶は感じなかったと鈴木は言う。むしろ骨が折れたのは、技術より「ビジネス構造」の翻訳だった。たとえば、サービスの品質を「どこまで約束するか」。顧客と直接取引するのが当たり前の海外に対し、間に代理店が幾重にも入り、「なにかあったとき、誰が責任を取るのか」を厳しく問う日本の商習慣は、そもそも彼らの理解の外にあった。
「日本では、有事の際に誰が責任を取るのか、が必ず問われる。海外だと、それが契約上の“約束”である SLA(サービス品質保証)ではなく、あくまで“努力目標”である SLO(サービス品質目標)だったりする。日本の会社が、そこの責任を最後まで引き受ける——この重要性を共有するのに苦労しました」
世界の共有地でつくられる技術を、日本の“責任の文化”へと翻訳し、橋渡しする。その面倒で地味な役回りこそ、サイバートラストにしか担えないものだった。
技術とビジネスが、ぶつかりながら探した答え
もっとも、その合流へ舵を切るまでの社内は、決して一枚岩ではなかった。サイバートラストには、OS をその手でつくる技術者と、事業全体を俯瞰して采配する人間がいる。ものづくりに矜持を賭ける立場と、事業の継続を背負う立場の間には、少なからず緊張関係があるものだ。
鈴木自身も、技術畑の出自がありながらも、「自分はどちらかというと事業(ビジネス)の人間」だと語る。無償化も合流も、そうした大きな決断の際には、社内の、とりわけ技術畑の人材とともに合意形成していく必要があった。
ゆえに、サイバートラストは当初、無償化した MIRACLE LINUX で自社が受け皿となること(Fork)を志向していた。そこから Join へといたるまでの 2 年間を、鈴木は率直に「苦しかった」と振り返る。
「どうやってお金に換えるのか。その答えが出ないまま、走り続けていた。正直、かなり苦しい 2 年でした」

背中を押したのは、当時の代表取締役会長である眞柄泰利の一言だった。無償化も、AlmaLinux への合流も、「自分の決断に責任と信頼をもっているのなら、それを信じてやれ」と、鈴木に委ねた。
「ただし、それには条件がありました。『技術者たちに、包み隠さず説明すること』です」
技術者たちを束ねていたのは、技術責任者の吉田淳だ。鈴木の決断に対して、誰より率直に迫った人物のひとりだ。
「『お前はいつも、事を済ませてからあとで報告する。今回だけは、先に言え。これからやろうとしていることを、先に聞かせろ』と。後回しにされ続けてきた、つくり手のなかに積み重なった思いだったのだと思います」
つまり鈴木に課されたのは、事業判断の正しさを証明することだけではなく、技術者たちを、自分の言葉で納得させることだった。エンジニアにとって、Join は重い選択だ。RHEL を複製し、自分たちの手で MIRACLE LINUX をつくりあげる。その技術力とプライドこそが、20 年の看板の核だったからだ。合流とは、その“自前でつくる”を手放し、海の向こうのプロジェクトの土台に相乗りすることを意味する。腕に覚えのあるつくり手ほど、自分たちの存在意義を問い直される選択になる。
AlmaLinux への Join が検討のテーブルにあがってからの数ヶ月、鈴木らはエンジニアを交えた議論を、根気強く重ねていった。
「MIRACLE LINUX でなければならない理由と、そうでない理由を、みんなで箇条書きにして、その一つひとつを AlmaLinux に置き換えたときに本当に納得できるのかを検証していきました。同時に、数字の話も正面から出しました。認証が取れなければエンタープライズでは戦えない。ユーザーが減り続ければ、どれだけ丹精を込めてつくっても、事業は先細る。ならば、日本でディストリビューションをやってきた資産を、より多くの人に使ってもらったほうがいいのではないか。つくるものがいいのは、本当にすばらしい。でも、つくるだけでは飯は食えないと、かなり率直にぶつかり合いました」
だからこそ、CloudLinux との提携を正式に発表した日の吉田の一言は、いまも鈴木の心に強く残っている。2023 年 5 月、CloudLinux 社代表のイゴール・セレツキーや、AlmaLinux OS Foundation 理事長のベニー・バスケスらがサイバートラスト本社を訪れて開かれた、タウンホールミーティング。その場で、鈴木ともっともぶつかってきた吉田は、居並ぶ社員に向かってこう言い切った。「庸陛はよくやった。ここからは、自分たちエンジニアが頑張る番だ」と。
提携からたった 1 ヶ月。再び訪れた、Linux 業界の地殻変動
しかし、ひとつになった決意は、すぐさま業界を襲った激震に試されることになる。提携を公表した、わずか 1 ヶ月後の 2023 年 6 月。CentOS や MIRACLE LINUX の“母体”にあたるRHEL をめぐって、レッドハット社が、その公開のあり方を大きく変えたのだ。
それまでレッドハットは、完成した RHEL の設計図(ソースコード)を、誰でも自由に入手できる形で公開してきた。後継の Linux たちは、その公開ソースを複製することで、RHEL と同じ品質の OS をつくることができていた。ところがレッドハットは、この完成版ソースの一般公開を止め、料金を払う契約者だけがアクセスできるように制限しはじめたのだ。無償で誰もが見られる場は、RHEL の上流にある開発版「CentOS Stream」に一本化された。しかし、前編で綴ったように、CentOS Stream は基幹システムの特性に適していないという根本的な問題を抱えている。
つまり後継 Linux にとっては、複製の材料そのものを断たれたに等しい。CentOS の打ち切りに続く 2 度目の、そして、より根の深い衝撃だった。「またやってきたか……と。せっかく危機をようやく乗り越えられると思った矢先に、これは本当に堪えました」と、鈴木は振り返る。
ここで、後継 Linux たちの道は、2 つに分かれた。あくまで RHEL の“一字一句たがわぬ複製”にこだわり、抜け道を探してでもそのスタンスを貫こうとする、Rocky Linux が選択した道。そして、その完全な複製という看板を、いっそ手放す道。AlmaLinux が選んだのは、後者だった。しかも、イゴールの決断は、鈴木が舌を巻くほど速かったという。
「方針はたったひとつ。『レッドハットの嫌がることはしない。喧嘩は売らない』でした。“複製(クローン)”であることを、自ら即座に手放したんです」
代わりに、CentOS Stream を材料として、RHEL と“実用上そっくりに動く”ディストリビューションへと立ち位置を移したのだ。さて、これはどういうことか。
AlmaLinux は、CentOS Stream をそのまま配るわけではない。その中身をある時点で区切り、そこで固定した番号つきのバージョンとして公開。いったん公開した版は、以後は中身を変えず、セキュリティ修正だけを足しながら長期間保守する。だから利用者から見れば動かない標準環境になる、ということだ。
そして、たとえ RHEL の複製でなくても、RHEL 向けにつくられたソフトは、そのまま AlmaLinux 上で動く。この動作の互換性を、専門的には「ABI(Application Binary Interface)互換」と呼ぶ。つまり、RHEL 用に認証されたソフトをそのまま使えるということだ。完全な複製という看板を手放す代わりに、AlmaLinux は、RHEL より源流に近い位置から、時にはレッドハットより速く脆弱性の修正を届けられる自由まで手に入れた。
決断が先にあり、地殻変動があとから来て、その選択の正しさを裏づける。“一字一句たがわぬ複製”にこだわった陣営が対応に追われるなか、身軽になった AlmaLinux は、むしろ以前より速く、多くの修正を出せるようになっていった。
「レッドハットと争わず、複製という縛りを自ら手放したイゴールの判断は、結局のところ、ひとつの企業がすべての源を握ることの脆さを、いち早く見越したものでもあったように思います」

輸入する OS から、育てる OS へ
さまざまな試練を越えたその先で、勝ち取った信頼が、目に見える形になる。2023 年 12 月、AlmaLinux を運営する団体にとって初めての単独公式イベント『AlmaLinux Day Tokyo 2023』が開催された。世界に数ある拠点のなかで開催地となったのは、米国でも欧州でもなく、東京だった。これはサイバートラストが「AlmaLinux に全面的にコミットする」と、内外に宣言する場でもあった。
顧客が本当に案じていたのは性能の優劣ではなく、「AlmaLinux は、この先も長く続くのか」という一点である。無償で、世界中の有志が支える OS は、裏を返せば責任の所在が見えにくい。その不安に、国内サポートの担い手であるサイバートラストが「万が一のときは、私たちが最後まで面倒を見ます」と、顔の見える形で応える。合流から 1 年あまりで、日本国内のミラーサーバー(配布拠点)は倍増し、コミュニティへの日本からの参加者も数倍に増えた。“海外から輸入してくる OS”は、いつしか“日本の企業と技術者が一緒に育てる OS”へと姿を変え始めていた。
そして、ここまでの道のりを経て鈴木が見据えるのは、さらにその先にある、より大きな問いである。オープンソースというものは、これからどこへ向かうのか——。それを考えるにあたり、鈴木は、日本が抱えるある課題を指摘する。それは、多くの現場が、古いシステムを「動いているのだから触るな」と“塩漬け”にし、すでに判明している欠陥すら放置したままにしている点だ。
「既知の穴が、開けっぱなしになっているんです。たとえるなら、屋根に大きな穴の開いた家のなかで、傘をさしてしのいでいるようなものです。しかも、その傘に新しく開いた小さな穴ばかりを、みんな必死にふさごうとしている」
鈴木の言う「大きな穴」とは、わかっていながら手つかずのままとなった脆弱性のことだ。ではなぜ、その穴をふさごうとしないのか。多くのシステムは、修正を当てるのに一度止めなければならず、社会インフラでは、その停止が許されない。可用性(止めないこと)が最優先される。
だからこそ求められるのが、システムを止めず、稼働させたまま修正を当てられる技術。つまり、前編で触れた「ライブパッチ」だ。サイバートラストは、この技術を CloudLinux と共同で磨いているという。
とはいえ、穴をひとつずつふさいでいくだけでは、もう追いつかない。Linux の中身は、そのほとんどがオープンソース、つまり世界中の有志が公開し、育ててきた資産の集合体だ。そしていま、その膨大な設計図を AI が読み解き、人知の及ばない速さで欠陥を見つけ出し、攻撃にも、修正にも利用し始めている。守る側と攻める側が、AI 同士でしのぎを削る時代が、もう始まっている。
「『1 社だけでは……』から、もはや『ひとつの国だけでは困難』というスケールの話になってきているんです。だからこそ“世界と手を組む”という判断は、より重要なものになっていくと考えています」
オープンソースは、ただ使うだけなら、誰にでもできる。本当に難しいのは、それを、責任を持って使い続けることだ。CentOS の終焉という一報から始まり、わずか数年間で立て続けに起こった苦境。そのなかで下してきた、日本の“責任の文化”と世界の“共有地”とを結ぶ決断は、激動の時代を超えていくための、未来の種となるだろうか。
決して簡単ではなかった大きな変革だが、それすらも小さなはじめの一歩に過ぎなかった……そう振り返る日が、もしかすると来るかもしれない。それほどまでに、さらなる変容が次の時代を待ち受けているであろうから。






