スマートフォンで送金する。改札を通る。ネットで買い物をする。その一つひとつの裏側で、私たちの目に触れないまま、黙々と働き続けている無数のサーバーがある。世界中の企業の基幹システムやデータセンターを支えるそれらの多くが、「Linux(リナックス)」という土台の上で動いている。電気や水道と同じように、意識されないまま社会を支える“縁の下”——それが、いまの Linux だ。
2020 年の暮れ、その縁の下を揺さぶる出来事が起きた。世界中で使われてきた無償の Linux「CentOS(セントオーエス)」がその歴史を終える、という発表がなされたのだ。
多くの企業にとって、それは「乗り換え先をどれにするか」という選定の問題に見えた。だが国内でただ1社、この土台のつくり手であり続けてきたサイバートラストにとっては、報せの重みはまるで違っていた。20 年守ってきた国産の Linux「MIRACLE LINUX(ミラクル・リナックス)」を、これからどう生かすのか。消えた土台を、誰が、どうやって取り戻すのか。
そして数年の試行錯誤の末、サイバートラストが下したのは、自前ですべて抱え込むことをやめ、世界の開発者コミュニティに「合流」するという決断だった。20 年の看板を、いわば世界に預ける。その判断に至るまで、どのような物語があったのか。OSS 事業本部で執行役員を務める鈴木庸陛の言葉から、サイバートラストが歩んだ数年を辿る。
Linux から CentOS へ。世界を支えた無償の土台
そもそも Linux とはなにか。ごく簡単に言えば、コンピューターを動かすための基本ソフト、Windows や macOS と同じ OS の一種だ。ただし、Linux には両者と比べ、決定的な違いがある。
Windows や macOS が、特定の企業が設計図にあたるソースコードを非公開で握る“製品”であるのに対し、Linux はそのソースコードが世界中に公開され、誰でも自由に使い改良できる、オープンソースなシステムであるということだ。
特定の 1 社に縛られず無償で使えるうえ、世界中の技術者が絶えず中身を点検し、弱点を見つけては直していく。そうした継続的な検証と改善が、Linux の高い信頼性を支えてきた。その堅牢さと自由さゆえに、2000 年代以降、Linux は企業の基幹システムやデータセンターの標準的な土台となり、社会の底に深く根を張っていった。
もっとも、企業が無償のシステムをそのまま使えるわけではない。なにかあったときに責任を持って直してくれる相手、つまりサポートがなければ、銀行や通信のシステムを安心して預けることはできない。そこで生まれたのが、Linux に手厚い保証を付け加えて販売する商用版 Linux だ。その代表格が、米レッドハット社が開発・提供する企業向けの有償 Linux「Red Hat Enterprise Linux(RHEL:レル)」である。企業はサーバー 1 台ごとに利用料を払い、その対価として、品質の保証と手厚いサポートを得る。
ところが、この RHEL とほぼ同じ中身を、無償で使えるようにした“複製版”が現れた。のちに Rocky Linux を立ち上げるグレゴリー・カーツァーら、有志のエンジニアたちが 2000 年代前半につくりあげた CentOS である。RHEL は、その中身の多くがオープンソースの規約に沿って設計図の公開を義務づけられている。カーツァーらは、その公開されたソースからレッドハットの商標だけを外し、ほぼ同じ品質の OS を無償で組み直した。もちろん、無償なぶん手厚い保証はない。しかし、予算の限られた現場や、自力で運用できる技術力を持つ企業にとって、これは福音だった。そうして CentOS は、またたく間に“定番のサーバー下地”となり、無数のシステムが組み上げられていった。
そして 2014 年、その存在感を無視できなくなったレッドハット自身が、CentOS を正式に傘下へ迎え入れる。“公式の無償版”として運営もレッドハット側へ移り、有償の RHEL と無償の CentOS は、同じ屋根の下で棲み分ける関係になった。さらに 2019 年、そのレッドハットを、大手 IT 企業の IBM が買収する。CentOS の運命を握る鍵は、いつしか 1 社の経営判断のなかにあった。ゆえに、当たり前のように存在してきたその空気は、ある日突然断たれることになる。
“CentOS ショック”が、なぜ青天の霹靂だったか
2020 年 12 月、レッドハットが、CentOS の運営方針の大きな転換を発表する。既存の CentOS(バージョン 8)のサポートを、当初示していた期限より大幅に前倒しして打ち切る、というものだった。いまや CentOS を自社の傘下に持つレッドハットの決定は、そのまま世界中のユーザーに及ぶ。つくり手である鈴木がなにより驚いたのは、その打ち切り方のほうだった。
「ディストリビューション(OS の配布形態)のマイナーバージョンの途中でサポートを終了するなんて、業界的にまず考えられない前代未聞の出来事です。まさに青天の霹靂でした」
企業の基幹システムは、一度組んだら 5 年、6 年と使い続ける必要がある。官公庁や金融といった社会インフラのシステムになれば、わずかな更新の検証にも数年を費やす。その土台が、ある日突然「あと 1 年で打ち切る」と告げられる。現場は同時に、3 つの難題に直面することになる。
1 つ目は、無防備になることだ。サポート切れとは、新たに見つかった弱点をふさぐ修正(セキュリティパッチ)が届かなくなることを意味する。穴が空いても修繕できず、障害が起きても原因を調べるための後ろ盾を失う。止めることの許されない社会インフラにとって、これは看過できない。
2 つ目は、移行の重さだ。土台を替えれば、その上に独自に組み込んできたソフトは、基本的につくり直しになる。長い時間をかけて練り上げたカスタム環境を、一から組み直す膨大な工数がのしかかる。
3 つ目は、説明責任である。金融やインフラの現場では、「なぜこの OS を選んだのか」を監査で説明できなければならない。「安かったから」では、到底通らない。
レッドハットが後継として案内した新型「CentOS Stream」に乗り換えればいい、とはいかなかった。従来の CentOS が、完成した RHEL を写し取った“固定された土台”だったのに対し、CentOS Stream は、次に出る RHEL の機能を先取りして中身が更新され続ける、いわば“動き続ける土台”だった。つまり、いつ導入したかによって中身が変わってしまう。同じ品質を長期にわたって再現できないため、一度組んだら動かせない企業の「標準環境」として据えることができなかったのだ。これこそが、CentOS の終了が生み出した混乱の核心である。
鈴木は、その怖さをこう表現する。
「穴が空いているとわかっているのに、それをふさぐ手立てそのものが消えてしまう。サポートが切れるというのは、現場にとって、そういうことなんです」
「安いから使っているのなら、有償の RHEL に移ればいい」——そんな声も聞こえてきたが、日々システムを守る現場の実感とは、大きくズレていた。移行の前には、いま挙げたような重い現実が、いくつも立ちはだかるからだ。

「まずは受け皿をつくる」。ピンチをチャンスに変えた決断
この混乱の受け皿になれる会社は、日本にほぼ 1 社しかなかった。CentOS がベースとしていた RHEL と互換性のある、国産 Linux「MIRACLE LINUX」を 20 年にわたりつくり続けてきたサイバートラストだ。
サイバートラストが下したのは、意外な決断だった。これまで有償で売ってきた自社の MIRACLE LINUX を、無償で開放する——。長年の商売の根幹を、自ら手放す判断である。社内では当然、議論が起きたという。
「もちろん、反対意見も多数ありましたよ。しかし、それでもやるべきだったんです。このままでは、行き場を失ったユーザーが市場に溢れかえってしまう。しかも、その多くは日本の社会インフラを支える基幹システムをつくる企業です。たとえば、ある大手の通信事業者グループでは、数万台規模の CentOS が動いていました。放っておけば、大きな問題になる。だからこそ、一日でも早く、私たちが受け皿をつくらなければならないという切迫した思いがありました。
まずは OS のライセンスそのものは無償にして、その代わりに、中途半端に切れてしまった膨大なシステムの運用サポートの“続き”を引き受ける。業界の危機であると同時に、新たなビジネスチャンスだとも捉えていました」
ここまでは、あくまで「自前で受け止める」構図だった。国内唯一のつくり手として、行き場を失ったユーザーを、自社のMIRACLE LINUXで拾い上げる。だが、その手応えの裏側で、鈴木はもうひとつの現実を、日に日に重く感じ始めていた。
技術だけでは越えられない、「認証」という大きな壁
OS というのは、それ単体では成立しない。OS 上でデータベースやセキュリティ製品といったソフトウェアが動き、その全体を、特定のサーバー機器が下から支える。だからつくり手は、ハードウェアのメーカーと、ソフトウェアのベンダー、その双方から「この OS で製品の動作を保証します」というお墨付き——「認証(サーティフィケーション)」——を、地道に集めてまわらなければならない。
車にたとえるなら、こうだ。どんなに優れた車を組み上げても、タイヤやブレーキのメーカーが「この車体で使って大丈夫」と保証し、車検を通す仕組みが整っていなければ、誰も安心して公道を走れない。OS も同じで、この認証の連なりがあって初めて、企業はひとつの OS を選べる。長くこの業界を見てきた鈴木は、こう語る。
「つくること自体もそうですが、本当の難所は認証なんです。ハードのメーカー、ソフトのベンダー両方が『この OS でいい』と言ってくれないと、お客さまは使いたくても使えません。しかし、年間何万台という規模の見込みを示さなければいけない。国産の 1 社だけでは、その土俵になかなか乗れないんです」

かつての CentOS は、世界的なシェアと RHEL の複製という立場ゆえに、認証が自然と集まっていた。一方、国産でシェアも限られる MIRACLE LINUX は、認証を得るハードルが上がってしまう。
しかも時代は、つくり手にとって厳しい方向へと動いていた。一つの OS に収めるソフトの数は年々膨れ上がり、Linux が広く普及したことで大規模攻撃の標的となるリスクは増す。セキュリティ脆弱性への対応に追われる量も増え続けていた。さらには、近年の AI の合流もあり、標準的に求められるコンピューティングの水準も、備えるべきリスク対策も、より高度化している。
「事業の面と、技術体制の面の“両輪”でどれだけ人を投じても、商売の柱が立たなければ投資を回収できない。そのジレンマに、ずっと苦しんでいました」
つくる力は、ある。だが1社だけで「長く、安全に、使い続けてもらう」ところまで支え切るのは、もう限界だった。だからこそ、「誰かと手を組む」という選択肢が、現実の重みを帯びていく。
20 年守ってきた看板を守り、MIRACLE LINUX 単独で開発をし続ける “Fork” か。あるいは、世界中の企業と技術者が共同でつくり支える AlmaLinux の開発コミュニティに、正式な一員として加わる “Join” か……サイバートラストは、後者を選んだのだ。
20 年の看板を、誰になら預けられるのか
CentOS の後継を名乗る無償 Linux は、当時、世界中に雨後の筍のごとく生まれていた。なかでも頭ひとつ抜けていたのが、「Rocky Linux(ロッキー・リナックス)」と「AlmaLinux(アルマリナックス)」だ。当初、鈴木たちが本命視していたのは前者だった。
「元祖 CentOS を立ち上げたグレゴリー・カーツァーがリードしていて、ブランド力と信頼性が強かったんです。CentOS の“正統な後継”というイメージもあり、最初は Rocky が選択肢として挙がっていました」
流れを変えたのは、AlmaLinux を立ち上げた米 CloudLinux(クラウドリナックス)社との接触だった。レンタルサーバー業界向けに Linux を開発してきた同社との対話を通じて、鈴木は奇妙なシンパシーを覚え始めたという。
「かたやレンタルサーバー向け企業、かたや産業機器や社会インフラ向け企業。市場は重ならないが、“絶対に止められないシステムを支える”という宿命を抱えている点がサイバートラストとそっくりでした。ああ、これは思想が合うだろうな、と。CloudLinux が持つ、システムを停止させずに修正を当てる『ライブパッチ』という技術にも強く惹かれました」
その CloudLinux が、“CentOS ショック”の直後に、受け皿となるべく即座に立ち上げたのが AlmaLinux だった。そして、その中心にいる創業者のイゴール・セレツキー(Igor Seletskiy)に、鈴木は次第に目を凝らしていくことになる。世界の開発者コミュニティに深く通じていながら、根はしたたかなビジネスマン。「事業」と「つくり手」を両立させようとする者同士、交わす言葉のプロトコルが、不思議と噛み合った。

決め手になったのは、技術でも契約条件でもなく「イゴールという人間の“身の引き方”だった」と、鈴木は振り返る。
イゴールは、自身が立ち上げた AlmaLinux を、自社である CloudLinux の持ち物として囲い込まなかった。新たに中立の非営利団体「AlmaLinux OS Foundation」を設け、AlmaLinux の商標と運営の権限を、まるごとその団体に委ねてしまう。しかも、自ら理事長の座を降り、コミュニティで信頼を集めるベニー・バスケス(Benny Vasquez)へと引き継いだ。出自である CloudLinux の“影”を、あえて OS に残さなかったのだ。公益目的会社が開発を主導する Rocky 陣営とは、そこが際立って違っていた。
「普通は、自分がつくったものは手元に置いておきたいものです。しかし彼は、けじめをつけて、パッと手放す。しかも『ここには、自分は関与しない』と言い切った。その引き際の潔さが本当に誠実だと感じました」
そして 2022 年、鈴木たちは太平洋を渡った。20 年の看板を、海の向こうの新興プロジェクトに預けようとしている。相手が本当に信頼に足る人間なのか、最後は自分の目で確かめていくほかなかった。「正直に言えば、身構えていたし緊張していた」と、当時を振り返る。
20 年かけて育てた看板の行く末を、これまで一度も直接会ったことのない相手に委ねようとしている。これまでのやりとりは画面越しで、相手の本心は、まだ測りかねる。欧米市場でしのぎを削る企業を相手に、こちらの足元を見られ、厳しい条件を突きつけられる交渉になる可能性もある。渡米の機内でも、その不安は消えなかった。
だが、出迎えた光景は、その身構えを裏切るものだった。CloudLinux には、そもそもオフィスがない。各国に散ったメンバーが、24 時間、地球のどこかで誰かが動いている。幹部同士ですら、顔を合わせたことがないという。その全員が、日本から来たわずか数人のために、わざわざ一堂に会していた。用意されていたのは、格調高いホテルの一室。その中央に、イゴールがいた。
「拍子抜けするほど、場は和やかでした。威圧感どころか、初めて実際に顔を合わせる CloudLinux のメンバー同士までが、旧知のように打ち解けていく。幾晩もかけて練り上げた提案は滞りなく受け入れ、ほぼ合意に近いところまで進みました」
一方で印象的だったのは、鈴木たちの覚悟を真正面から問うた、イゴールの一言だったという。
「『MIRACLE LINUX を手放す瞬間がいずれ来るかもしれない。君たちがこれまでやってきたことをリスペクトしているからこそ、“本当にいいのか?”と問いたい』。イゴールはそう聞くんです。もちろんつらいが、MIRACLE LINUX というブランドと足跡さえ残るのであれば、我々のエンジニアリングやノウハウは惜しみなく注ぎ込む。そう答えました」
それを受けたイゴールの返答は「ぜひ参画してほしい」だった。張りつめていたものが、ふっとほどける。
「本当に、涙が出るくらい、ああ、よかった、と。できないことは『できない』とその場ではっきり言う。自分が下す決断を、社員にも、外部のパートナーに向けても隠さず語る。『この人は嘘をつかない』と心から信じることができました。そして事業視点を突き詰めれば、この方向で設計図を定めていくほかなかった。あとは、それを社内に理解してもらうだけでした」

だが、「社内に理解してもらう」——この一言の重さを、このときの鈴木はまだ完全には理解していなかった。20 年の看板を海外に預けることがなにを意味するか。それを痛感する社内での出来事とともに、正式な提携後まもなく、業界そのものを揺るがす地殻変動が待ち構えていたのである。
(後編へ続く)





